皆さま、ご機嫌いかがですか?砂山(@sunayama373)です。
月組大劇場公演『BADDY』について、生徒の魅力の観点から感想を綴りたいと思います。
演出の魅力から書いた感想はこちら。
悪い珠城りょうがあらわれた!
まず、たまきちについて私がいだいているイメージと言えば、最下級生トップ・真面目・誠実・体育会系などなど、正に『カンパニー』の青柳誠二の様な人物だ。そんな絵に描いた様なマジメキャラのたまきちがどんな悪党になるのか観劇前からとても楽しみにだった。
バッディは宇宙一の大悪党だが、人は殺さない。ただただ自分のやりたいように生きているからかっこいいのだ。
そしてそれを真面目なイメージが強い珠城りょうが演じるからさらにかっこよさが際立つ。これを「やんちゃ系トップ」が演るとまた全然印象が変わるだろう。
ハマってるとか、そういうものになるのかもしれない。珠城りょうはバッディにハマってはいない。全編「なんか、ちょっと、なんやろ、ん、でもかっこいい」がどこまでも付きまとう。
歌劇初見のお客さんにもこの違和感からのかっこいいと思ってしまう感覚は与えることぎてきているのと思う。
だってこれは宝塚歌劇だから。
宝塚の一般的なイメージは珠城りょうのイメージと少しにているところがある。何故か宝塚を観たことがない人は、宝塚ではコメディすらやっていないと思っているのだ。いや、私も初めて観るまではそうだった。
ギャップは万人共通の魅力だ。ファンだけでなく幅広い客層に共通した違和感と魅力を伝えることが出来るのではないだろうか。まさに宝塚歌劇としては異色なのに、宝塚歌劇でしか出来ない作品じゃないかと思う。
[chat face=”profile1.1.jpg” name=”砂山” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=”maru”]あれ、たまきちの魅力を語ろうと思っているのにどんどん演出よりの話になってしまったぞ。[/chat]
グッディは銃を向ける
ちゃぴグッディはまっすぐで正義感にあふれ、美しくてかわいい、全てのポジティブ要素が盛り込まれたキャラクターだが、ショーが進むにつれてぼろぼろとポジティブが崩れ落ちて最終的にはバッディを越える悪党になったなという印象を受けた。
上で、「バッディは人は殺さない」と書いたが、本作品の正義の味方グッディは、怒りによってバッディに銃を向けるのだ。
[chat face=”profile1.1.jpg” name=”砂山” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=”maru”]グッディよ、それ、戦争の始まりや。[/chat]
あれは単なる斬新なデュエットダンスでなく物語のクライマックスだった。
そして、バッディが過ちを犯しそうになっているグッディと一緒に炎の中に消えたおかげで、バッディはまさに大悪党に、そして、グッディは悪党にならずにすんだのではないだろうか。
それにしてもちゃぴはかわいい。幕開きのグッディはまさに最強。
みやちゃんにしかできないスイートハート
これまで宝塚歌劇ではセクシャルマイノリティを表現する際に、どちらかと言えばコミカルに表現することが多かった様な気がする。
芝居では、いわゆるオネエ言葉で役作りをしたりしてデフォルメしたキャラクターが大半だった。それはそれで面白い作品もあったし、演出によってはキャラクターとしてしっかり成り立っていたものもある。(浅はかすぎてファンの怒りをかったものもあるが)
一方ショーでは男役同士の愛を垣間見せるシーンは人気の場面になることが多く、1つのジャンルとして成立している様なところもある。男役同士の場面は、その作品の象徴的な場面になることがよくあり、ファンのウケもとても良い印象だ。
今回みやちゃんが演じたスイートハートの今までと違うところは、「普通に存在している」と言うことだ。異質でもなく象徴的でもなく、ごく普通の登場人物として存在している。グッディとポッキーが驚いたりするシーンはあるが、そんなことは大したことないくらい普通だ。
登場した姿は非常に美しく、男役として、二番手としての圧倒的存在感を持っている。そのスイートハートが「邪魔よ!どいて!」と歌ったときに受けた感覚が新しいもの過ぎて、なんて表現したらいいかわからない。
コミカルにするわけでなく、至って「普通に」世界に存在している姿にハッとするものがあり、ありきたりな表現になるが、めちゃめちゃかっこいい。この世の中がまだまだ偏見ばかりな証拠である様な気もする。
それ以降、バッディとの関係も愛であったり友であったり、いろんな感情の形があることがわかるが、「恋人なの?」「友達なの?」が男女のそれと何らかわりなく表現されている。
そこに持っていけるみやちゃんはやっぱすごい。
この日本ではまだまだイロモノ扱いされるキャラクターの成立は、演出の的確さと役者の力量がモノを言ってると思う。
(もっとイロモノがいるからって言うのは却下な。)(ちょっとまって、宇宙人には後で触れるから。)
れいこはやっぱりかっこいいし、ありちゃんはずいぶんかっこよくなった。
月城かなと演じるポッキーや暁千星演じる王子は、我々一般的な日本人に最も近い感覚を持っている。
ワルいものに憧れてしまったり、その衝動が抑えられなくなるのを代弁してくれている。退屈なもんなのだ、人生は。それをぶち壊してくれる人に対して、だめだだめだと思いながらも抱いてしまう憧れの様な感情に多くの観客は心当たりがあると思う。
だからこそバッディの物語に引き込まれるし、バッディの仲間になりたいとか思ってしまうのだろう。
最期に自分がどう生きたかったかを吐露し、スイートハートに認められるポッキーに勇気をもらえるのは、ポッキーに感情移入してみていたからかもしれない。バカキャラだと思って観ていたポッキーこそが自分だったのかと最後にしてわかるのだ。(観ているときは感情移入しているだなんて思ってないのに)
出向銀行員(宇宙人)
この作品で一番話題をかっさらってると言って過言ではない出向銀行員(宇宙人)。
まずスチールが出た時点で相当なインパクトを与えてきた。どんな突飛なキャラクターなのか色んな憶測が観劇前に飛び交った。実際その目で観るまでわからないことってあるのだと思い知らされる。
至って真面目な銀行員ではないか。
人を見た目で判断しては行けませんと幼いころからよく言い聞かせてこられて育っているのにこのザマである。彼は人間ではないし言葉も(グッディにしか)通じないが、誰よりも真面目に働いている。
エリートだなきっと。いや、青柳誠二の様に地球に出向させられて、けど生き甲斐を探して真面目に働いてるのかも。など、無限に想像を掻き立てる。
なぜ(宇宙人)にする必要があったのか、それは愚問だ。なぜなら別に「普通」のことだから。
全編通して輝月ゆうまは(宇宙人)であるが、私は観劇前から「まゆぽんは大階段も宇宙人でやってる!」との噂を聞き、さぞかし一人だけ面白い感じになっているのだろうと思っていた。
ちがうやん。めちゃめちゃかっこいいやん。
男役としてもかっこいいし、普段と違うメイクと髪型でさらにかっこいい。びびる。元々ガタイよい男役が好きだから余計にそう見えるのもある。
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こう書いてみると、『BADDY』に出てくるキャラクターたちは、バッディとグッディを除いてみんな「普通」なんだと気づいた。だからこそ主演の二人が引き立つし、トップスターとトップ娘役が演じる意味がはっきりしてくる。まさに主演二人が特別な存在である宝塚の世界にぴったりな作品だ。
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