皆さま、ご機嫌いかがですか?砂山(@sunayama373)です。
先に断っておきますが、私は熱狂的な久美子信者です。
『BADDY』開幕当初から新聞やSNSなどで評判を得て、観劇を楽しみにしていました。
『カンパニー』に続き、一言で感想を申しますと、
イカレテヤガル…!
作家間の粋な演出
『カンパニー』が「今夜は月が綺麗ですね」で終わり、『BADDY』が「月が綺麗なんて言うもんじゃありません!」で始まるのは粋だ。今までも芝居とショーを繋いでる様な演出はあったけど、組をダイレクトにいじるのはあっただろうか?
とにかく『BADDY』の幕開けはこの一言とすーさんの頭にのった地球で観客の心を鷲掴みに出来た。
間違いなく宝塚レビュー
異色だ斬新だと言われている本作品だが、間違いなく宝塚レビューの構成で作られているのがよい。
これは言い過ぎだと怒られそうだけど、白井鐡造先生や鴨川清作先生が出てきた時、客席はこんなインパクトを感じていたのではないだろうか。荻田浩一先生がショーを手掛けたときも同じような期待感があった。みんな短い宝塚人生の演出家ばかりだが、上田久美子には長く宝塚で作品作りを続けてほしい。
一般的なショーを構成する要素(プロローグ、間奏曲、中詰め、ロケット、男役群舞、デュエットダンス、パレード)は全部ある。ただ、それらすべてが観たことないかたちだった。おそらく宝塚的なポジティブな表現ではなく、非宝塚的なネガティブな要素が強かったからだ。
だかそれを嫌悪感なく観劇できたのは、生徒の頑張りと、それ自体が観客にとって「夢」に違いないからではないだろうか。
悪いことがしたいというのはある意味「夢」
私を含めて、宝塚にのめり込む人間は、割りとマメで、割りとマトモに生きてきている人間だろう。
そういう人間は少なからず「悪いこと」に憧れたりするものだ。日本人は特に真面目な人種だから、不良漫画やドラマがヒットしたり、ヤンキー先生に注目が集まったりする。
そういう意味ではたまきちが演じるバッディは憧れの存在になりうる。セオリーから外れて生きる姿に人は憧れるのだ。
トップスター⇒あこがれ
セオリーからはずれて⇒あこがれ
悪いことする⇒あこがれ
ほら、あこがれの3コンボ。
因みに宝塚レビューの形式はとっているものの、セオリーから大きく外したショーを作った上田久美子は最高に悪いことしてるし最高にかっこいい。
多くの観客は自制心やら何やらが働いて基本的には悪いことはできないから、悪いことするってのは「夢」なのだ。そしてその「夢」を華やかに描いている『BADDY』という作品は間違いなく宝塚レビューだ。
初めての観劇におすすめか不向きか
ファンの間では大いに盛り上がってるこの作品だが(私の回りだけかも?)、初めて宝塚を観劇する人にオススメかどうかと問われれば、正直オススメはしない。
というのもこの作品はかなり上級者向けなのではないかと思うからだ。
この上級者向けのショーから初観劇で宝塚ファンになってしまうと、他のショーの方に違和感を感じてしまうかもしれない。すると、セオリー通りのレビューを楽しめる様になるまで時間がかかるんじゃないだろうか。
かつて「ノバ・ボサ・ノバ」から宝塚を見始めた私が正にそうだった。ロマンチック・レビューを楽しめるようになるまで15年かかった(実話)。
ただ、「宝塚って夢々しいロマンティックな舞台ばっかりやってんだろ?」とスカしている奴には是非BADDY砲を食らっていただきたい。
間違いなく沼に沈むはずだ。
カオスの中に愛の物語
ここまで『BADDY』がいかに宝塚のセオリーから逸脱しているかについて書いてきたが、宇月颯と早乙女わかばをめぐる物語は実に宝塚らしく、この悪党と正義の大乱闘の中で、ひときわ目を引いた。
作品中に特にフィーチャされるところはなく、あくまでもアンサンブルの立ち位置ではあるが、この二人だけ別軸で物語が進行していて、どの場面でも追ってしまう。そしてこの作品だからこそ愛が際立つ。2人共退団公演にしてとってもよい愛の物語を担当できたのではないだろうか。
最近では尖ったショーを作っていたサイトー先生も独特な世界観を持っていたイナバ先生も割りと大衆的な宝塚レビューを作るようになっているから、上田先生にはプロデューサーに何を言われようとも悪いことを続けていただきたい。
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ここまで高性低声並に割りと真面目に作品の感想について書いて気がついた。こんなに生徒について書かない感想があるか?
たまきちはめちゃめちゃかっこいいし、ちゃぴは爆発的に可愛いし、みやちゃんはとんでもなくセクシーなショーだぞ?
てことで次回は生徒中心に『BADDY』の感想を書こうと思います。
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