皆さま、ご機嫌いかがですか?enjoyzukalife.comの運営をしています砂山です。
enjoyzukalife.comは、宝塚歌劇に関する情報や人物についての考察、観劇しての感想などが一気に集まっている、宝塚ファンによる情報サイトを目指しています!
このページでは、運営者であるわたくし、砂山のプロフィールなどを書かせていただきたいと思います。
[chat face=”profile1.1.jpg” name=”砂山” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=”maru”]題して、『砂山・歌劇団演出部への道』であります。[/chat]
まじで自分語りなんで、ご了承ください^^;
ざっくりなプロフィールはこちら▽
HN | 砂山みなみ |
HNの由来 | 出身地にちなんで |
初観劇 | 99年「再会」「ノバ・ボサ・ノバ」 |
ご贔屓遍歴 | 汐美真帆さん→彩吹真央さん→緒月遠麻さん→澄輝さやとさん→??? |
好きな演出家 | 現在一押しは上田久美子先生 |
宝塚歌劇との出会い。
私が宝塚歌劇に出会ったのは1999年。
当時演劇に興味を持ち始めていた私は「一生に一度でいいから宝塚観てみたいなぁ」なんて母親に言ったのを覚えてます。
その2,3日後に母親が「地元出身のタカラジェンヌを応援しよう!宝塚歌劇観劇バスツアー」を見つけてきてくれました。
そのときに観たのが雪組の「再会」「ノバ・ボサ・ノバ」
演劇に興味のあった私は、宝塚歌劇のイメージとはまるでかけ離れたコメディ作品に完全に心奪われました…!
[chat face=”profile1.1.jpg” name=”砂山” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=”maru”]宝塚ってこんなに笑えんの?!![/chat]
これが宝塚歌劇に対する第一印象でした。
そして伝説のショーと言われる「ノバ・ボサ・ノバ」。
ダンスや歌にはあまり興味のなかった私ですが、ストーリー性のあるスピーディーな展開に引き込まれます。
中詰めのレインボーのお衣装に圧倒され、シナーマンに衝撃を受けました。
この初観劇を観終わる頃には、「ここの舞台を作りたい!」と思っていました。
よくタカラジェンヌの目指したきっかけエピソードにある「この舞台に立ちたい!」ではなく、「ここの舞台を作りたい!」だったのは、もともと戯曲を読んだり書いたりするのが好きだったからでしょう。
田舎での宝塚ライフ
初観劇を終えて見事に歌劇にハマったわたくしですが、いかんせん田舎だったので歌劇に関する情報は乏しく、さらには周りに宝塚を観たことがある人が少な過ぎて、観た舞台を思い出すくらいしか楽しみはありませんでした。
[chat face=”profile1.1.jpg” name=”砂山” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=”maru”]母もハマってくれたらよかったんですがねー[/chat]
そんな時、友人から「本屋に宝塚の雑誌が売ってるよ」と教えてもらいます。
歌劇と宝塚グラフですね。
そこにはちょうど「再会」「ノバ・ボサ・ノバ」の舞台写真が掲載されていて、即買いでした…!
それから月のお小遣いの1200円分は歌劇予算として確保するようになりました。お小遣い貯めたり出来ない子だったので、母はかなり驚いていましたね。
我が家はBSもwowowも入らないので、友人に舞台中継を録画してもらって延々と同じ作品を見続けました。
「ザッツ・レビュー」
宝塚の演出家を目指す2人の青年の物語に自分の夢を重ねてずっと見ていましたね…。
とにかく情報が欲しくて、宝塚の載ってる雑誌を買い漁っていた時、シアターガイドで運命的な広告に出会います。
宝塚歌劇団 演出助手募集
[chat face=”profile1.1.jpg” name=”砂山” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=”maru”]こ、こんな感じで募集されるんだ…[/chat]
募集要項のところには「20歳から30歳までの方」と書いてあり、当時14歳だった私は早く20歳になりたい…!とつねに願っていました。
中学を卒業するときに「宝塚受けないの?」と回りからめっちゃ言われましたが、「私は演出家になりたいから慶応に行くから高校行くわ!」って言ってました(笑)
慶応は小池修一郎先生の母校ね。
残念ながら高校受験失敗、滑り止め校に入学。
これでは大学に行けない!→宝塚に入れない!と思い、超ガリ勉に(笑)
同時に演劇部に入って勉強してない時間は宝塚見てるか脚本書いてるかって生活してました。
朝六時に起きて宝塚見ながら朝食→学校→部活→勉強/土日は脚本書きの日々…!
大学の志望校はなぜか親から「東京はだめ」と言われたので、柴田侑宏先生の出身校である関西学院大学に変更。
一応勉強はめっちゃ頑張ってたんですがなかなか結果が出ませんでした^^;
でも意地で関学一本に絞って「関学に入らなければ意味がない!」とか言ってたんで滑り止めも受けないとい言う始末^^;
担任の先生から「練習のつもりでどこか受けなさい」と言われ、演劇が学べる大学を受けて合格。
関学は見事に滑りました笑
演技・演出・劇作…演劇にまつわることを学ぶ。
大学では演劇を学問として学び、演技や演出、劇作、評論などを勉強しました。舞台の制作から役者として舞台に立つことも、演出や脚本をする機会にも恵まれ、実践的な勉強をいっぱいさせてもらえました。
一方当時の流行りもあり会話劇や前衛芸術的な作品ばかりでミュージカルの勉強は一切できずに悶々とした日々でもありました。
[chat face=”profile1.1.jpg” name=”砂山” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=”maru”]それでもいろんな演劇学や演出・劇作・劇評などについて学んだことは今でも根幹に根付いていていますね。[/chat]
ふざけた観劇記の中でも急に芝居について語り出すのは大学での経験の賜物かと…!
大学在学中に20歳を迎え、宝塚演出助手試験に受けられるようになってからは、募集がかかるたびに毎回応募し、1次で落ちるってのを繰り返してました。
大学の教授に課題作文を添削してもらったりしていたんだけど、「もっと宝塚に入りたいって熱量を文章に込めないとだめだ!」と言われてましたね。その時は先生のお言葉が全然理解できずそのまま提出していました。
今思えばホントに先生の言うとおりで、大学生の私は「熱い意志を伝えることはスマートじゃない」「一生懸命やるのはダサい」と思っていたフシがあるので、それが文章に出ていたんでしょうね。そりゃ受からないわな。。。
関西演劇界にすごく影響力のある先生の元で学ばせて頂いてたんだけど、その先生に「歌劇団宛に紹介状を書いてあげようか?」と言われたんだけど、
「大丈夫です、実力で入りたいので…!(キリッ)」
つって断りました。
もうね、馬鹿だねー
書いてもらえばよかったのに←書いてもらっても受かるかわからない世界なのにね!
そんなこんなで劇団にも入れず、就職もせず大学卒業しました^^;
大学卒業時に、30歳までに宝塚の演出部に入れなければ諦めよう!と決意し、外の世界に飛び出しました。
宝塚以外の世界を知る
大学を卒業したあともフリータをしながら、在学中に一緒に劇団をやっていた連中と芝居を何作かしたりしたんだけど、やっぱりミュージカルをしたい!と思い、小劇場の現場ではなくミュージカルの現場を探すことに。
しかしなかなか商業ミュージカル以外のミュージカルって日本ではまだまだレベルか低く、見るものすべて子供の発表会のようなものばかり。
同世代でバリバリミュージカルやっている人たちはレッスンを受けて四季か東宝を目指すような感じで、ミュージカルの演出をやっている人がどこにいるのかもわからないような状態でした。
どうしたらいいんだ!どこの現場に飛び込んでいったらいいんだ!って思っていた時に、一人のミュージカル作家との出会いがあります。
その方は世間的には無名ながら、作るミュージカルは今まで見てきた小劇団がやっているようなミュージカルとは比べ物にならないくらいレベルが高く、宝塚にも引けをとらない作品を作っていました。
その方に直接コンタクトを取り、レッスンを受けさせてもらって、演出助手として舞台の制作に関わらせてもらいました。
その方も宝塚の演出部が募集を出すたびに受験し、落ち続けているということを聞いて、本当に狭き門なんだと実感しました。
この方の元での経験が「もしかしたら宝塚じゃなくても自分がやりたい舞台を作れるかもしれない」と思うきっかけに。
5年ほどそちらでお世話になり、同時に宝塚の現役演出家やOGが関わる舞台の制作にも携わり宝塚の厳しさや素晴らしさを改めて実感しました。
そして28歳。次に宝塚を受けるまでに自分でミュージカルを1本作ってみよう!次に試験を受ける時に劇団に胸を張って提出できるような作品を作ろう!と思い、私財をなげうってミュージカルを制作。
小さな劇場でしたが、完売御礼の5回公演をすることが出来ました。
しかし、終わった後に思ったことが「やっぱり宝塚でやりたい」でした。
最後の演出部試験
自らの舞台が終わった直後に、演出部の募集が出ました。年にして29歳。
ラストチャンスだと思って募集要項を確認すると、新卒・第二新卒(大学卒業から5年以内)を対象にした募集に変わっていました…!
[chat face=”profile1.1.jpg” name=”砂山” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=”maru”]ギリギリアウトやん。。。。[/chat]
10年間目指し続けてこんな最後って無いよ!と思い、年齢をごまかしマイナビ新卒に登録、エントリーシートを記入しました笑
エントリーシートを書き終わって、なんとなくyoutubeを見ていると、宝塚受験生を追ったドキュメンタリー番組があってなんとなく見始めました。
高校3年生4回目の試験を受ける3人の子を密着している番組で、厳しいレッスンや食事管理、親御さんのサポートまで完全密着。
合格発表で、3人中1人だけが合格。他の2人は不合格。
[chat face=”profile1.1.jpg” name=”砂山” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=”maru”]え、どうすんだろう。この子達、レッスンしかしてなかったやん。[/chat]
不合格のうち1人は大学を滑り止めで受けていて、そちらに入学することになっていましたが、もうひとりは大学受験もせず、レッスンのみに打ち込んできた子。
その子の後日談を見て衝撃を受けました。
バイトをしながら英会話の勉強をしていると。宝塚はだめだったけど、やっぱり舞台に立ちたいからブロードウェイを目指すために今は勉強を頑張るんだと。
かたや私は年齢をごまかしてエントリーシートを書いている。
一体私はなにをやってるんだ…!この子は次の目標に向かって行動を起こしている!私は諦めるのが怖いだけ、次の目標を見つけるのが怖いだけじゃないか!
そのままマイナビを退会して、私の宝塚演出部への道は幕を閉じました。
そして現在、宝塚ブロガーへ。
演出部への道に幕を降ろしてから、一般企業に就職しました。
舞台とはなんの関係もない会社に。
道の途中で、舞台に関わるなら宝塚一択だと気づいたので、他の舞台の会社に入ろうとは思わなかったですね。
「舞台は宝塚だけじゃないから、もし宝塚に入れなかったことで諦めるんなら、想いはその程度だったってことでしょ」なんて言われ方をすることもあるけど、宝塚じゃないとやる意味ないって自分の中では結論づいてます^^
逆に宝塚を目指す過程でいろんな舞台に関われて、いろんな人関われて、やっぱり宝塚の舞台ってすげえ!宝塚がいい!ってところに来たからこそ、今があると思っています。
そして今は純粋に劇団を応援することが楽しい!
目指していた時は「私、普通のファンじゃないから(キリッ)」的な感じがあって、ちょっとスかしてたんですよね。
[chat face=”profile1.1.jpg” name=”砂山” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=”maru”]今思うと、かなり痛い(笑)[/chat]
目指すのをやめて宝塚を見ると、本当に楽しい!
演出や演技を見るのも楽しいけど、若手が育っていく様子や、急激にかっこよくなっていく中堅、トップスターの退団と新しいトップスターの誕生、流動していく組の体制など、目指していたときは見てなかったようなことを見るようになり、それぞれが宝塚の歴史になっていくのがすごく楽しいし、ずっと見ていたくなる!
楽しさ余ってブログを始めたというわけであります^^
ブログでどんなことをしたいか
このブログは
- 宝塚ライフをもっと楽しくする情報をまとめたい!
- 観劇の感想を記録として残したい!
- タカラジェンヌや演出家を応援したい!
- 宝塚を目指す人も応援したい!
というモチベーションで運営しています。
演劇を学んできたこと、宝塚を目指してきたこと、舞台の現場で経験してきたこと、考えたこと、やってみたことを私なりに発信していけたらいいな、それをみて面白がってもらえたら嬉しいなと思います!
あ、あと、周りに宝塚ファンの友達が少なくて語る相手がいないよ!って方にとって、一緒に宝塚についてワイワイ語り合っているような感覚になってもらえたらめちゃくちゃ嬉しいなって思います!
もちろんツイッターなどで絡んでもらっても大丈夫です^^でもなかなか絡めないよって方は砂山を架空のヅカ友にしてやってください^^
無言フォローでも全然気にしないので、フォローお待ちしています^^
Follow @sunayama373
またイラストは坂井境氏(@sakai10kyo)にお願いしています。いつもありがとう!
またに辛口な感想や堅苦しい劇評なんかも書くかもしれませんが、全て愛です。
[chat face=”profile1.1.jpg” name=”砂山” align=”left” border=”gray” bg=”none” style=”maru”]愛あればこそ。[/chat]
以上が砂山のプロフィールでした!
一緒にZUKALIFEを楽しみましょうー!!