皆さま、ご機嫌いかがですか?砂山(@sunayama373)です。
今回は宙組バウホール公演『夢千鳥』の感想をまとめていきたいと思います。
緊急事態宣言前に幸運にも観劇することが出来ました。
とても情報量が多く、さらに自身の思考でもって作品を解釈していく余地のある作品だったので、数回観劇してからじっくり感想を書こうと思っていたのですが、緊急事態宣言発令につき公演期間の前半4日間で千秋楽に。
夢千鳥もっかい観たい…
— 砂山🎩ヅカライフブログ (@sunayama373) April 23, 2021
多分あれは千秋楽に近づくに連れてガンガン進化していく系舞台だから。
初日観れたのはありがたかったが、中日、千秋楽も観たい…。
劇場内で一生黙るから観させてほしい。。。
なんなら呼吸も止めとくからさぁ、もっかい観させてくれよ…。
とはいえ、観劇できた人間の方が少ないだろうし、上演できた期間が短かったから映像が残るのかどうかも定かではないので、観劇できた記録をしっかり残しておこうと思います。
栗田優香先生デビューおめでとう!
20年ほど宝塚を観てきましたが、新人演出家のバウデビュー作を観劇するのは今回が初めてだったかもしれません。
初めて『宝塚歌劇の作品』として作品を世に出すって、きっと他の劇団や自分で劇団立ち上げるときとは違う葛藤があるんだろうと思います。
宝塚歌劇の世界観、作家としての自分自身の世界観、俳優(スター)の世界観…
いわゆる「芸術家」のように、自分の中から湧き上がってくる創作欲に忠実に作品を作るのとは違い、宝塚歌劇を背負って、その中に作家として自分の表現、俳優の身体、タカラジェンヌの特性など、いろんなものを調整しながら創っていくんだろうなと。
初日の客席、最後列のさらに後ろで椅子に座っている、栗田先生らしき女性をお見かけしました。
幕が開いてからもさらに作品をブラッシュアップさせるための準備をしておられるようでした。
舞台は公演期間でどんどん進化していく。それは俳優だけじゃなくて演出家も一緒で、客席の反応や俳優が実際に観客の前で演じることにより生まれる感情や身体の変化、そのわずかな変化も見逃さずに作品に還元していくべく、この初日の客席にいらっしゃるんだなと感じました。
自分は舞台に立つわけじゃないけど、めっちゃ緊張してたんじゃないかな…。
この状況下で、先生に声をかけるファンはほとんどいなかったと思うし、私はもともとヘタレなので先生が客席にいらっしゃってもお声がけする勇気など微塵もないのですが、この場をかりて。
栗田先生、デビューおめでとうございます!
これからは「栗田先生の宝塚歌劇」という作風も、宝塚歌劇の世界に吹いてゆくんだなぁ。
うつらうつら断片的な精神をつなぎ合わせるような舞台
『夢千鳥』は作品の中に2つの世界軸があって、高度経済成長真っ只中っぽい昭和の時代(設定は明言されていないけどそんな風に感じました)に映画作りに取り組む白澤優二郎の世界と、大正時代の画家であり詩人であった竹久夢二の世界を交錯するように構成されている。
あらすじにもある通り
撮影が進むにつれ、白澤は自分と夢二の境界が曖昧になるほどに彼の人生に飲み込まれていく。
のを、場面のわずかな転換で表現している舞台だった。
特にラスト近くの、夢二にかかわった人間が走馬灯の如く語り掛け、彦乃だったはずの女性がお葉に変わっていたり、劇中のセリフだけではない言葉が乱立したりする場面は、夢二なのか白澤なのか誰の思考の中にいるのかがぼんやりとしていて、あのうつらうつらして夢か現実か分からない状況で言葉を発してしまい何がなんだか分からなくなってしまう、あの感じに似ていた。
作品全体を通して夢二の世界と白澤の世界が交錯するので、正直場面場面の細切れ感は気になった。夢二パートだけでも場面の切り分けが多い。
空間と照明を駆使して場面を切り取っているような手法で、これはバウでやるには少し箱が小さいように感じた。
暗転している場面がどうしても次場の照明のハレーションで見えてしまうのだ。「暗転している=見えていない」のが舞台のルールだ。それはわかっているが、見えてしまうものは気になってしまう。
大劇場だとこの辺りはカバーできるのかも。
客席からの物理的なアクティングエリアまでの距離が遠くなってしまったのも、もったいなかった。空間を分けて使っているから仕方ないのだが、バウは客席と舞台(俳優)が近いというのも魅力の一つだと思っているので。
夢二の作品を妻の他万喜が販売し切り盛りするお店「港屋絵草紙店」のセットの奥には、住居エリアがあり、この場所で夢二と他万喜が歪んだ愛を作品として昇華していく印象的なシーンが有るのだけれど、遠い。。。
できるならオペラグラスなしで夢二の眼光や他万喜の歪んだ喜びを感じたかった。
とはいえ前場からスムーズに次場につながっているシーンもあり、舞台的でもあり映画的でもある様な印象。
映像で見てみたい。
舞台の記録映像としてではなく、舞台作品だが映像になったものも作品として成立するのではないかと思うような作りだった。
夢千鳥と3人のヒロイン
竹久夢二(和希そら)を取り巻く3人のヒロインたちの人物造形が素晴らしかった。
宝塚歌劇は基本的に男役主演が主体の作品が大半を占めるが、ここまで娘役の比重が大きいことも珍しいような気がする。
娘役、、、いや違うな、まさに「女優」たちだった。
竹久夢二:和希そら
タカラジェンヌとしての和希そらは『陽オブ陽』のような方なのに対して、作品中で表現する陰の雰囲気がとても似合うなと前々から思っていたところがあって、今作はそんな和希そらの個性にドンピシャにはまったような気がした。
自然体の芝居の中で突然気性が荒くなる人の目つきの変わり方をしたり、相手の感情を汲んで呼吸が変わる瞬間があったりと、まさに「相手のセリフをよく感じて」いるお芝居だった。
3人の女優も和希そらを引き立てていることは違いないが、逆に和希そらも女優一人一人を引き立てるような芝居作りになっていた。
ダンサーでもある和希そらの身体を活かした表現も流石。
ただ一瞬、ほんの一瞬だけ、俳優からダンサーに切り替わってしまう瞬間を感じてしまった。
これは初日を観劇して感じたことで、直前まで俳優の身体で存在して芝居をしているのに、振りに入るとスパンとダンサーになる。俳優の表現の手段としてのダンスではなくダンサーの身体表現になるので、一瞬違和感を覚えてしまうのだ。これはダンサーとしての能力が高い故だろう。
ただ、この表現が千秋楽に向かうにつれてどう変化していくのか、和希そらの中でどんな深化をしていくのかを観るのが楽しみでもあったので、早すぎる千秋楽が惜しまれる。
他万喜:天彩峰里
夢二と傷つけ合いながらも愛し合う妻・他万喜の天彩峰里の芝居は、狂気を感じさせる迫力で圧倒してきた。
正直個人的に暴力をふるう男性の描写は好きではない。その暴力によって女性が精神的にも肉体的にも辛い思いをするのをたとえ創作であっても見るのがシンドイ。
しかし、他万喜は夢二からの暴力によって自分の存在価値を確かめているような、そして価値を感じる喜びを得ているような感じがしたので、拒否反応なくみることができた。
夢二と他万喜の別離を決定づける、夢二の嫉妬心から他万喜を刃物で切り付けるシーンでは、他万喜は伏して泣いてしまうが、だんだん笑っているようにも聞こえてくるので鳥肌。
切り付けられて泣いている他万喜を見て興奮し筆を執る夢二もヤバいが、喜びに打ちのめされる他万喜もなかなか猟奇的だ。
「私の夫のお嫁さんに、娘さんをください」と彦乃の両親に頭を下げる場面など、他万喜が本気であればあるほど愛情の歪みが浮き彫りになり、これを契機に人を寄せ付けなくなってしまうのだろうと思わせる人物造形だった。
一度強く結ばれたことを信じ続けた他万喜が、赤羽礼奈として生まれ変わり、白澤監督と出会っているのだとしたらと考えると、泣ける。
彦乃:山吹ひばり
山吹ひばりの彦乃も素晴らしかった。
純真無垢な箱入り娘にして、平塚らいてうや与謝野晶子に傾倒し、女性が信念を持って生きる道を歩み始める姿に大いに感化された少女。
明るい声も明瞭な活舌も彦乃に見事にはまり、他万喜と夢二の場面との対比が色濃く出るのがよい。
女学生と歌う「スプレンディット」も時代をたくましく生きていく女性を快活に表現していてまさにスプレンディット。
よし、おいさんが銀座のカフェでコーヒー奢っちゃろう。
女学生時代が明るければ明るいほど、病気で弱っていく姿が辛い。
関係性的には彦乃が他万喜から夢二を奪う構図になっているのに、全く嫌な女に見えない作り方も彦乃への好感度を上げている。東郷ちゃん(亜音有星)に結託を持ちかけるところも嫌味がない。
自分の想いのままに気持ちを表現し、好きな人と生きることを決める姿に客席はとても共感し、憧れる。彦乃と観客との関係性もとっても良い状態で1幕ラストに突入する。
だから父親に連れて帰られるときの「私が好きで好きでついてきたの、愛しているの」で客席は涙で濡れる。
感情移入と少し違う、彦乃の友達になった感じだ。この作りは脚本も山吹ちゃんの役作りも巧みだ…!
つまり客席全員おとらちゃんな。よし、コーヒーry
お葉:水音志保
職業モデルとして夢二の視線を常に感じながら、しかしその眼には自分は映っていないことに気が付いたときのお葉(水音志保)の絶望は計り知れない。
「ほかにいい人がいっぱいいるのは知ってる」と言いつつも、目の前にいる愛しい人が自分を見ていないことを感じながらの「先生、こっちみて」が切なすぎる。
お葉は自分「も」好きになってほしかったんだろう。一緒にいるし、求めてくるし甘えてくるけど、他の女たちと違って自分だけ「愛されていない」という感覚があったのではないだろうか。
過去の自分の生き方に引け目を感じているお葉だからこそ、夢二が許してくれることで受け入れられるのだと、それが愛されるということだと言い聞かせることで自分の存在を保っていられるような、そんな女性像を感じた。
だから「黒船屋」の作品を見て、自分を見ながら書いていたはずなのに自分じゃない誰かの絵になっているのが耐えられなかっただろう。
お葉自身、夢二が愛ゆえに筆をとる人だと知っているから余計に。
お葉は夢二に愛された女性と言うよりは、夢二に愛されたかった女性なのではないか。
宙組生の個性が活きたキャスティング
夢千鳥、総合的にとても楽しめました!
— 砂山🎩ヅカライフブログ (@sunayama373) April 22, 2021
和希はクズだしじゅっちゃんは狂ってるし山吹ちゃんはかわいいし志保ちゃんはなんかせくしーだし
中堅は髭おじ祭り開催されてるし、芝居ができる人多いなと思いきや実はダンサーだらけだし歌姫もいる。
栗田先生デビューおめでとう🎉
凛城きら筆頭に星月梨旺、水香依千、穂稀せり、若翔りつ ら「おじ枠」の充実ぶりが半端ない。昭和おじも大正おじも演じ分ける芝居巧者たち。安心感がすごい。
秋音光はダンスで、留依蒔世は歌で作品に爪痕を残し、亜音有星はしっかり2枚目。それぞれが作品における自分のポジションを的確に務め上げている感じがした。
下級生もセリフで場づくりに参加し、ただのモブにとどまらず。
茂次郎(真白悠希)や不二彦ちゃん(美星帆那)の子役も物語上重要なシーンを締める存在だった。
若手バウとは思えないくらい充実したカンパニーだったと思う。
フィナーレ
多分バウ作品を見た中で一番フィナーレが長かったように感じた。
それこそ大劇場で1幕ミュージカルを見た後に幕間を挟んでショーを見ているくらいの充実感。
- 幕前の歌手
- 主演が娘役を率いて踊る
- ヒロインが羽扇を持った黒燕尾の男役を率いて歌う
- デュエットダンス
- ロケット
- 男役群舞
- デュエットダンス
かなり王道の宝塚レビューに近いような構成をしているように感じる。
作品自体がいわゆる「王道の宝塚歌劇」からは一線を画すからこそ、フィナーレは超王道に作り込んだのかなと。ちょうど時代も宝塚歌劇が誕生する前後なのもあって、古き良き宝塚のテイストを取り入れている感があって素敵だった。
栗田先生は大劇場での作品作りもしっかり視野に入れて、その前段階としてのバウホールでの作品作りをしているように感じた。
おわりに
今回は宙組バウホール公演『夢千鳥』の感想をまとめていきました。
もっと観たかった!
この感想を書くのに6時間くらいかかってしまった。少ない観劇回数で感想をまとめるには観劇体験と思考回数が少なすぎるような気がして…。
しかし『夢千鳥』は間違いなく上演されて、私の心を揺さぶったことは間違いないので、言葉足らずかもしれないけど、ひとまずはここまで書くことができて良かった。
もし、再演される機会があるなら必ずもう一度観に行きたい。
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